イザヤ書 9章



9章1節-10章4節

7章の13-17節で「処女が身ごもり男の子を産み、名前をインマヌエルと呼ぶ。」と神が、南ユダを守るしるしをアハズ王に与えました。8章では南ユダは助かりましたが、エフライムはアッシリアに攻められて財宝が奪われました。そのしるしとしてのインマヌエル、イザヤの次男マヘル・シャラル・ハシュ・バズが登場しました。

 

9章では、もう一人のインマヌエルが登場します。イザヤの次男ではありません。

この男の子は、4章で「主の若枝」、6章で「聖なる裔(すえ)」、9章2節で、闇の中に輝く「大きな光」と言われた謎めいた存在ですが、イエス・キリストのことです。

 

1―9節で、キリストがガリラヤで生まれること、さらにその役割が明かされます。

6節を見ましょう。『ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』この男の子に与えられた4つの名前は、キリストのお働きを表しています。一つ一つ見ましょう。

 

不思議な助言者:

不思議な助言者とは、驚きと賞賛を呼び起こすほどの知恵と知識を持って私たちを助けてくれる人のことです。パウロがコロサイ2:3で「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」とあかししました。パウロもイエス様に会ったことはありませんでしたが、祈りを通して人には思いもつかない知恵と知識を得て、新しい教会を立て、降りかかる困難を乗り切ってきたのです。私たちが問題を抱えて、一人では解決できないとき、祈りに応えて解決を与えてくれる、不思議な助言者なのです。 

 

力ある神:

この方は、人であると同時に神なのです。ヨハネは証して言います。ヨハネの福音書1:1「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」実際に、イエス様はことばによって、生まれつき目の見えない人を癒しました。悪霊を追い出しました。水をぶどう酒に変えました。風も波も支配しました。死者までもよみがえらせました。本当の神にしかできない業をなされました。力ある神なのです。

 

永遠の父:

父は、神お一人ですが、イエス様は死を打ち破ってよみがえった最初の人です。私たち、よみがえりの命を受ける者の父にあたります。黙示録22:13でキリストはご自分を証して「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」このように永遠の存在である方です。私たちだけに父なのではありません。これからずーっとよみがえる者にとっては、父であり続けられる、永遠の父なのです。

 

平和の君:

平和はいろいろな平和があります。まずは神と人との間の平和があります。当然人と人との間の平和があります。聖書の重要なテーマとしてユダヤ人と異邦人との間の平和があります。個人的に大切なのは、私たち自身の心の平和です。それを全て与えて下さるお方がイエス様です。エペソの手紙2章14節で、パウロは言います。「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」

 

平和というのは、隔ての壁である敵意を打ち壊したときに、実現するものです。神を、自分を責める敵だと見ていた者が、キリストを十字架にかけてでも取り戻そうと愛してくれたことを知ったとき、神と人との間に平和が来ました。人を戦う対象とみなしている間は敵意しかありませんでしたが、相手も神に造られ、キリストに愛されていることに目を向けた時、人と人の間に平和が来ました。

 

また、こうでなければならないと私たちを縛る律法や規定を解き放ってもらったとき、心の平和が来ます。例えばキリスト者は敬虔でキリスト者らしい働きをしなければならないと縛られていると、そのイメージから外れた自分の心は不安でいっぱいになりますが、神様が私たちを新しい人として産み、教会に置き、その存在だけでいいよ。と言ってくれていると知って、心に平和が来るのです。

 

ヨハネ16:33「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」 とイエス様が言われました。

 

イザヤが預言したインマヌエルは「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」という役割を全て担われているイエス様のことです。そして、新約聖書はイエス・キリストがイザヤの預言どおり、真のインマヌエルであると語っているのです。

(小室 真)