ヒゼキヤの病が癒された奇跡を聞いてバビロンの王メロダクが使いをヒゼキヤの所に送りました。喜んだヒゼキヤが宝物や武器を全て彼らに見せました。同じ内容が歴代誌第二32章21~31節にあります。
バビロンの使者が来たのが、エルサレムを包囲したアッシリヤ軍の全滅の前に起こったと捉える考え方と、後に起こったと捉える考え方と2つあります。前にあったと考える根拠は、BC703年にメロダク・バルアダンがバビロンを支配し、BC702年にはアッシリヤに滅ぼされたとしている聖書以外の歴史資料があるからです。アッシリヤがエルサレムを包囲したのはBC701年ですから、バビロンの使者が来たできごとはアッシリヤの攻撃の前に起こったと考えるわけです。
後に起こったと考える根拠は、歴代誌第二の記述をそのまま受け入れる考え方によります。
どちらの立場を取るかによって、ヒゼキヤ自身の問題が変わって来ます。前に起こったとする立場では、ヒゼキヤがバビロンの使者に全てを見せたのは、アッシリヤからエルサレムを守るためバビロンと同盟を結ぶことが目的だったことになります。神のことばに逆らう行為です。後に起こったとする立場では、神から祝福を得たことを忘れて、ヒゼキヤがおごり高ぶっていたことになります。
ここでは、バビロンの使者の来訪を、エルサレムがアッシリヤの包囲から救われた後の出来事として、見ていきます。
エルサレムの神がアッシリヤの包囲からこの町を奇跡的に救われた。更にヒゼキヤ王を襲った死の病も主によって癒された。ヒゼキヤは神に祝福されているこれらのうわさを聞いて、多くの人々が主へのささげ物や王への贈り物を携えてやってきました。宝物庫は、みるみるいっぱいになっていきます。ヒゼキヤは全ての国々から尊敬されるようになりました。
自分の力ではないと知っていても、富を得、尊敬を集めるようになると、どんな人も気持ちが大きくなり、心が高ぶるようになるのは避けられません。そんななかで、遠方の小国バビロンから、王の書状を携えてわざわざ使いがやってきたのです。南ユダを侵略するほどの脅威になるとは思いもよりません。ヒゼキヤは全ての物を見せたのです。
5~7節の主のことばを見ましょう。ヒゼキヤがバビロンの使いに宝物すべてを見せたから、これらの宝物がバビロンに奪われ、子孫がバビロンで奴隷にされることになるとは、主は言っていません。そこに因果関係は示されていません。
主から寿命を延ばされ、豊かにされたことで自分の心が高ぶっていることが、バビロンの使いへの対応に現れていたと、気づいて、ヒゼキヤはイザヤの指摘に感謝したのです。
そこでヒゼキヤ王は言います。「あなたが告げてくれた【主】のことばはありがたい。」驕(おご)っていた自分を知ることが出来て、改めて主に従うことを決意し、自分が生きている間、エルサレムと民の上に平和と安定があるだろうことを喜んだのです。
もう一つ。39歳のヒゼキヤには王位を継ぐ息子がまだいませんでした。イザヤの言葉から自分には息子たちが授かると預言されたことも、ヒゼキヤがありがたいと感じたことだったと思われます。BC699年に息子マナセを授かりました。
ヒゼキヤ王が子孫の不幸を顧みず、自分だけ平和と安定があることを喜んだ利己的な男だと評価する向きもあります。
聖書には「自分の平和と安心」とは書かれていません。「自分の治世の間の平和と安心」と書かれています。ヒゼキヤは王です。自分が治めている間、ユダの国とエルサレムの平和を一番に考えていたに違いありません。
更に言えば、神がイスラエルの民をバビロンに捕囚とされることは不当なことだと意義を唱えることは彼には出来なかったのです。
この39章はイザヤ書の大きな区切りになっています。ここまでが第一イザヤと言われる部分です。その最後が、エルサレムがバビロンに滅ぼされ、ユダの民がバビロンに捕囚とされるという預言で締めくくられています。続く40章以降は、約140年後に起こるバビロン捕囚からの解放とそれに重なる主の救い、キリストの預言へと大きく展開していきます。
(小室 真)
