イザヤ書 21章



1-17節

楳図一夫(うめずかずお)の漫画は、子供のころ、私は恐くて避けていました。まことちゃんとか漂流教室とか猫娘とか。とにかく恐いんです。人の想像を超えた出来事を目の当たりにしたときの恐ろしさ。今回イザヤが味わった恐れに通ずるものがあるように思うのです。

 

今日の21章には諸国に対する神の3つの宣告が語られています。

 

最初の「海の荒野(あらの)」は「バビロン」のことです。バビロンは砂漠の中に多くの川が流れていることで海の荒野と呼ばれていました。このバビロンを攻めるのがエラムとメディアです。エラムはペルシアの町の名前です。地図を見てください。

 

イザヤは幻をみせられて、恐ろしさに震え、苦しみました。主によるバビロンへの重い裁きは厳しくて、自分の想像を超えていました。膝ががくがくして、腰まで震えてしまう、力が入らず立てなくなってしまうのです。3節で「戦慄が私の腰に満ち、子を産む時のような苦しみが私をとらえる。」と言っています。

 

5節の内容はダニエル書5章に書かれている出来事です。バビロンの王ベルシャツァルが大宴会を開き大騒ぎをしました。ついにエルサレム神殿から奪った聖なる器を取り出して、それでお酒を飲みだしました。すると突然人の手が現れて見たこともない文字を壁に書きました。それを見ていた王はがたがたと震えだしました。「ダニエル書5章6節:すると、王の顔色は変わり、いろいろと思い巡らして動揺し、腰の関節はゆるみ、膝はがたがた震えた。」イザヤはベルシャツァル王と同じ体験を幻の中でしているのです。ユダヤの捕虜で、年老いたダニエルが呼ばれその文字の意味を解き明かしました。「あなたの治世を終わらせた。この国は分割される。」その夜、メディア・ペルシアが立ち上がってバビロン王は殺されるのです。

 

イザヤは、飲み食いしている首長たちに、立ち上がって敵を迎え撃て、と思わず叫んでいます。

 

更に、イザヤは主に命じられて見張りを立たせます。すると見張りは、メディア・ペルシアの軍がバビロンを倒したと知って驚き、大声で叫びます。「倒れた」「倒れた」と重ねて叫び、見張りの驚きが伝わってきます。

 

イザヤは200年後に起こることを1-10節で伝えました。それは、ユダヤ人がバビロンに踏みにじられて奴隷になること、そのバビロンがメディア・ペルシアの軍に滅ぼされることでした。10節では、イザヤは、神から告げられたままをユダヤの王と民に伝えたのだと強調しています。

 

11,12節はドマへの宣告です。ドマとはエドムのこと。モアブの更に南の国です。セイルとは、エドムにある山です。エドムが先ほどの見張りに、「夜回りよ、今は夜の何時か。」つまり、アッシリアの脅威がいつ去るのかと重ねて聞きます。夜回りの答えは、アッシリアの脅威は消えるが他の国からの脅威がまた来る。確かにエドムはアッシリアからの脅威のあと、バビロン、ペルシアから次々脅威をうけるのでした。

 

最後はアラビアに対する宣告です。

ここの預言も他国がアラビアを攻めるという預言です。デダン、テマ、ケダルはアラビアに住む兄弟の部族です。デダン人の隊商が他国に追われて、アラビアの林に隠れます。するとテマの地の住民が、逃げてきた人々に食糧や水を与えます。アラビアもアッシリア、バビロン、ペルシアと次々に大国からの攻撃を受けて支配され続けるのでした。

 

21章の預言は、カナン・アラビア地方の各部族たちに対して、いくら自分達で同盟を結んで守ろうとしても、効果がない。すべての民がイスラエルの神、主により頼まなければ滅んでしまう、という警告です。

 

最初のバビロンへの預言は、BC538年の出来事。2、3番のドマへの預言とアラビアへの預言は、アッシリア、バビロン、ペルシアの時代。場所も時代もばらばらに見えます。特にバビロンへの宣告は200年後に起こることがかなり正確に語られています。イザヤ書の研究者の中には、この宣告は、イザヤ本人ではなく後世の人が書き加えたと考える人がいるくらいです。

 

10節でイザヤは、「イスラエルの神、万軍の主から聞いたことを、私はあなたがたに告げたのだ。」とわざわざ書いています。イザヤはなぜ、こんな言葉をここに書き加えたのでしょう。あまりに正確な幻だったので、実際に起こったあとで誰かが書き加えたと疑われることを見越して、神がイザヤに語ってそれを書かせたのだと強調していると考えられるのです。

 

バビロンが滅亡した時のユダヤ人は、イザヤ書に書かれた通りのことが起こって衝撃を受けたでしょう。彼らはイスラエルの神は生きておられる、と主を恐れ、崇めたのです。聖書の言葉は生きていて、必ず成就するのです。

 

パウロも聖書の言葉は生きていて、必ず成就すると信じて次のように言っています。

 

コリント人への手紙第二4章14-18節

主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。

すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。

ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

 

このみことばも生きていて、必ず成就するのです。

(小室 真)