イザヤ書 33章



1-24節

アッシリヤに関する一連の預言は終わり、32章から最終的な神の救いが預言されていきます。

今日の33章はイザヤが働いた約50年の信仰、思想が詰まったものと言われます。聖書全体が濃縮されています。

 

全体を4つに分けて見ていきます。

 

 

1節です。< 荒らす者の姿 >

 

 

イスラエルの民に敵対する者が示されます。「踏みにじられなかったのに人を踏みにじる者」「裏切られなかったのに人を裏切る者」。イザヤの時代であればアッシリヤのことが頭に浮かびますが、イザヤはだれそれといった名前を挙げません。あえて名前はあげませんが、敵対する者はイスラエルの歴史上、皆このような者たちでした。エジプトのファラオもそうです。ペリシテもそうでした。現代にいたっても多くの敵対する者がいて、イスラエルの民を恐ろしい苦しみが襲うのです。その苦しみの中でのイスラエルの民の祈りが捧げられます。

 

2-6節です。< 主の民の祈り >

 

 

あわれんでください。待ち望んでいます。救ってください。神が立ち上がれば、私たちを攻める者たちは散らされ、不足した物も豊かに与えられることを知っています。国は神を敬い、神から与えられる知恵と知識によって豊かになります。自分の力ではどうにもならない苦しみの中で祈る言葉です。その祈りに、主が応えてくださいます。

 

7-16節です。< 主の答えと裁き >

 

 

7-9節にあるように、エルサレムの戦う兵士も、平和のために働く者も敵に対抗する力がなく、国は壊され、人々も影を潜めて生きています。杉の緑に溢れていたレバノンも、義の象徴のシャロンの地も荒れ果て、肥沃な牧草地のバシャン、立派な果樹園があるカルメルも収穫を失うのです。そんな中で、神は「立ち上がる」と宣言されます。11節の「あなたがた」は1節にあるイスラエルを踏みにじる者のことです。主はこれら不正を働く者を正しく裁かれますが、15-16節にあるような正しい者は守られます。主が立たれた時、完成された王の国、王の都が現れます。

 

17-24節です。< 王の都 >

 

 

完成した遠く広がる王国には、それまで人々を支配していた横柄な民はいなくなります。その都は「祝祭の都シオン」です。主を祝い祭るための都です。そこは安全で、主が住まわれる天幕は移動することなくいつまでも張られています。21節:広々とした川はありますが貢物を集める船も軍隊の大きな船も要りません。国は豊かで、外敵と戦うこともないのです。かつて支配していた者たちの船は解体され分け与えられます。王は裁き、法を定め、支配し、救われるのです。そこに住む者は罪が赦され、病も癒されるのです。

 

現実のエルサレムは山と谷の中にあります。湧き水を引き込んだ水が頼りです。周りの町々は略奪され、破壊されました。あの奴隷の数を数え、土地を奪うために測っていった占領する者たちの記憶が生々しい所です。一方で祝祭の町シオンは、遠く広がる国の中にあり、広い川が流れて水が豊か、都は平和で、全ての病はいやされます。新しいエルサレムです。ヨハネが幻で見た新しいエルサレムも同じです。黙示録21,22章です。そこには神殿はなく、主と小羊ご自身が神殿です。神の御座から川が流れ出し、いのちの木の葉によって民は癒されるのです。イザヤとヨハネは800年の時を超えて同じ祝祭の都の幻を見ていたのです。

「これらのことばは真実であり、信頼できます。」

御使いはヨハネに示しました。私たちも、この都に入れていただけることを信じて生きるのです。

(小室 真)