13章からここまでイスラエルの周辺国への宣告が続いて来ました。バビロン、モアブ、ダマスコのアラム、クシュといわれたエチオピヤです。19章はエジプトについての宣告と13章からのまとめです。節ごとに追っていきます。
1-4節。
かつて栄光を誇っていたエジプトは、南のエチオピヤ人に支配されるほど、弱くなっていました。そこにアッシリアが攻めてきて、エジプト人が拝んでいた偶像を打ち砕き、国民は分裂し、国は更に弱ります。「厳しい主人の手」とあるのは、アッシリアが略奪と破壊を繰り返すというのです。
5-10節。
ナイルが干上がるという出来事は、アッシリアの軍事侵攻のときには起きていません。でもエジプトの産業が幅広く苦難を強いられることが預言されています。
11-15節。
エジプトでは、学問が発達して、知恵のある者も多くいましたが、迫りくるアッシリアの脅威への助けにはなりません。ツォアンやメンフィスのような大都市の指導者は分別を失って、国に混乱を招くというのです。原因として混乱の霊が吹き込まれるからです。「頭も尾も」これは、知者や政治指導者から一般民衆にいたるまで、何をすればよいか分からない状態になります。
16-22節。
「その日」が6回繰り返されて、終わりの日にエジプトに起こることが並んでいます。主の振り上げる御手を見て恐れ、カナン語つまりヘブル語を使う町が起こされ、エジプトの真ん中に主の祭壇が立てられ、エジプト人が主を知るようになって、いけにえを主にささげるようになる。この内容は、イスラエルが、出エジプトの頃から導かれてきた、神とともに生きる文化と歴史です。エジプトがこれを経験して神の民となっていくことが書かれています。
23-25節。
小さなイスラエルを挟んでアッシリアとエジプトという大国が大路を通してつながっています。これが一つの世界のイメージです。主の支配はエジプトにも、アッシリアにも及び、イスラエルと共に主に仕えるようになります。かつては戦争と商売のために使われてきた道が、主の礼拝のために使われ、人々が行き来して、平和な関係を保ち続けるようになるのです。
イスラエルはエジプトとアッシリアに並ぶものとされます。「第三の」というのは、三番目というよりも、対立の中心、混乱した土地の真ん中で統一の中心の役割を担うということです。そして神からの祝福を受けるのです。主は、エジプトに「わたしの民」と呼びかけ、アッシリアに「わたしの手で造った」と呼びかけ、イスラエルに「わたしのゆずりの民」と呼びかけています。
最終的に、神の救いによって、統一される世界のイメージが描かれています。イスラエルは神の民として救われますが、異邦人もイスラエルと同じ道を通ることで救いに入るのです。その救いの中心は20節にある「主は彼らのために戦い、彼らを救い出す救い主を送られる。」という預言です。死にまで神に従われた救い主キリストです。私たちには到底まねのできないほどの、神とともに生きる人生を送られました。その救い主を信じることで、エジプト、アッシリア、全ての異邦人は、イスラエルの民の通った歴史と同じ道を通った者とされて、神を知り、その日、神の祝福を受けるようになるのです。
ヨハネの福音書14章6-7節にはこうあります。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」
(小室 真)