イザヤ書 22章



1-25節

1-5節:「幻の谷」はエルサレムのことです。エルサレムは二つの谷に挟まれた町で、幻の谷と呼ばれていました。

 

この宣告が与えられたのは、ヒゼキヤ王の治世、アッシリアの脅威を受けた時のことです。エルサレムの有力な者の一部は戦うことなく市内から逃げ出しますが、アッシリアに刺し殺されたり、捕らえられたりします。そんな噂が耳に入るたびに、人々は生きる力を失っていきます。「飲めよ。食べよ。どうせ明日は死ぬのだ」民衆は平屋根の上で飲み食いして、大騒ぎしています。4節の「私は泣きたい。慰めてくれるな。」は、ユダの民がこれから侵略され、混乱する姿を知らされて悲しむイザヤのことばです。

 

6-11節:エラムやキルの雇い兵と騎兵、戦車を引き連れてアッシリアはエルサレムを取り囲みます。ヒゼキヤ王は、それまで、森に隠してあった武具を備え、住居をこわして石や木材を用意して城壁の破れをつくろって補強しました。水を守るために新たな貯水池も作ってきました。ヒゼキヤの水道と呼ばれています。この時の状況が歴代誌第二32章1から8節に詳しく書かれています。

 

ヒゼキヤは、主に頼りながら、町を守ろうとしていたのでした。

ヒゼキヤの進めたエルサレムの補強工事は順調に進みましたが、工事を進める中で、エルサレムを形造った方、主に目を留めない者たちがいました。イザヤは彼らに向けて神のことばを伝えます。

 

一つは、13節の屋上で「浮かれ楽し」んでいる人々です。1節で主を驚かせた人々。生きることをあきらめて捨て鉢になっている人々です。主は、「泣いて悲しみ、頭を剃って粗布をまとえ。」まだ希望を失うな、主に求めよ、と呼びかけています。

 

民だけではありません。指導者の中にもいました。執事シェブナです。ヒゼキヤ王の下でエルヤキムと共に仕えていたことが列王記第二18章18節に書かれています。「彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフは、彼らのところに出て行った。」このシェブナは、エルサレムの城壁補強事業を進めるなかで、自分のための墓を高い所に造り、そこに自分の家の名を刻ませ、自分の栄誉のために働いていたのです。

 

神は、シェブナを追放します。彼の最後は、悲惨なものとなると言われます。シェブナに替えてエルヤキムにその役務と権威を与えるというのです。

 

21節の「あなたの長服、あなたの飾り帯」とはシェブナの地位、役割のことです。彼の高い位を表す長服、飾り帯を取り上げて、エルヤキムに着させるというのです。そして、22節、「ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」ヒゼキヤ王に仕えるエルヤキムに、このダビデの家の鍵を与え、王に従ってエルサレムを治める役を任されるのです。更にエルヤキムを確かな場所に打ち込まれる杭と呼んでいます。

 

なぜそのような大きな権威、高い位を主はエルヤキムに与えられるのでしょうか?

20節に「わたしのしもべ」とあるように、エルヤキムは常に神に目を向け、目を留めていたからです。神に忠実な姿勢をエルヤキムは貫いていたのです。ただ、シェブナとエルヤキムの記録は聖書の他の場所にも他の文献もなく、イザヤ書22章にあるだけです。

 

神に忠実なエルヤキムの姿が、新約聖書では2か所で引用しています。一つはイエス様がペテロに天の御国の鍵を与えた所(マタイ16:18)、もう一つは黙示録3:7で主がフィラデルフィヤにある教会に対して語られたところ。「聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。」これは、イエス様の事です。

 

神を認め、神に忠実だったエルヤキムに与えられた称号を、聖霊によってキリストを証したパウロと、神に忠実なキリストの称号として用いているのです。

 

神を認め、神に忠実なエルヤキムが王に従ってユダの鍵を持ったように、イエス・キリストは神に従って神の国の鍵を持ち、神に従ったペテロはキリストの教会の鍵を持ったのです。旧約聖書から新約聖書まで通して、神を認め、神に忠実であることを大切にしていることが分かります。私たちの毎日もこれが大切だということです。

 

25節の、「その日・・確かな場所に打ち込まれた一つの杭は抜き取られ、折られて落ち、その上にかかっていた荷も取りこわされる。」は20節の「その日」と同時に起こることです。25節の杭はシェブナのことを言っています。シェブナが失脚し、彼に連なって、利権をむさぼっていた者も処分されるということです。

(小室 真)