アッシリヤがイスラエルの周辺に勢力を拡大させていく中でそれぞれの国に対する神の預言が語られています。18章はエチオピヤについてです。
1節、クシュ、古代のエチオピヤの名前です。「羽こおろぎ」とはエチオピヤが非常に蒸し暑く、羽の付いた虫が多いことで有名だったからと思われます。紀元前730年ごろクシュではピアンキという王が立ち、下流域のエジプトを支配するほど力を持っていました。海路とはナイル川中流のことです。その川をパピルス船で行き来してクシュは交易を図っていました。
エチオピヤの使者が南ユダに来て、アッシリヤに対抗するために軍事同盟に加わらないかと誘います。そして「行け、背の高い、肌の滑らかな国民のところにあなたがたの使者を送りなさい。」と呼びかけます。背の高い、肌の滑らかな国民とは、エチオピヤ人のことです。力あるエチオピヤからの軍事同盟の申し出に南ユダは国の指導者も民も心が揺れ動きます。
3節、「世界のすべての住民よ。地に住むすべての者よ。」と、世界に呼びかけています。当時アッシリアは強く、どこの国も打ち破ることは出来ませんでした。アッシリヤの大軍隊を南ユダで打ち破り、全滅させるという主の御業、主の奇跡を見るようにと世界に伝えています。山々に旗が揚がるとき。角笛が吹き鳴らされるとき。とは南ユダが勝利するときのことで、それが神の御業だと知れ、というのです。当然この預言は、神の御業が成される前に、イザヤに与えられました。周辺国にも伝えられたのではないかと思います。
4節ではエルサレムを大軍隊で取り囲むアッシリヤの脅威に対して、「わたしは静まって、わたしの所から眺めよう」と言われます。まったく動揺せずただ待つ姿を、陽射しの熱さのじりじり感、ちょうど刈り入れ時の暑さを冷やしてくれる雨雲がなかなかこちらに動いてきてくれないじりじり感、その状況に耐えがたい時の気持ちを生活に密着した表現で語っています。実際にアッシリヤの大軍隊がエルサレムを包囲した日、主は動かれませんでした。イスラエルの民は恐ろしさに耐えながらも声を出すことはありませんでした。アッシリヤは明日の戦は楽勝と考え野営地で翌日の総攻撃の備えに入りました。
5節のぶどうの刈り入れは、アッシリヤに対する神の裁きのことです。「つぼみが開き、熟したぶどうになる」とアッシリヤが勢いづいて、ユダを攻め取ろうとする傲慢の絶頂の姿を形容しています。その時が熟すのを待って、神はぶどうの枝もツルも無用のものとして刈り取られます。
6節、ぶどうの枝やツルが刈り取られて捨てられるように、その夜18万5千人のアッシリヤの軍隊が、宿営地ですべて倒されました。この死体を猛禽がやって、それを食べることになるのです。
7節、自分たちの強さを誇っていたエチオピヤは、自分たちよりもはるかに強い主の御手を見て、驚き、主に従うようになるとイザヤは告げます。
エチオピヤが、シオンの山に贈り物を運んでくるという預言はのちには実現します。イエス様がよみがえってからのことです。もともと、シバの女王がソロモンから知恵を得るためにエルサレムに来て以来、エチオピヤにはユダヤ教が入っていました。使徒の働きの時代には政府の高官がエルサレムに参拝に来ていました。エチオピヤの女王カンダケに仕える高官がエルサレムから帰る途中、主の弟子であるピリポからイザヤ書の意味を教えてもらったことが使徒の働きに書かれています。ピリポによって洗礼を受けたこと、またマタイによる福音もあって、エジプト、エチオピヤ、北アフリカの広い地域にクリスチャンが増えました。イスラム教の迫害もありましたがコプト教会として今も礼拝を続けています。礼拝と祈りこそ万軍の主のための捧げものとなっています。
私たちが助けを求めるとき、主が沈黙を守られていることがほとんどです。じりじりとして、「いつまでですか主よ」と叫びたくなります。そこには、照りつける日差しの暑さのように、刈り入れ時の暑さの中の雨雲のように、静まって眺めている主がおられること。主が必ず私たちを救ってくださることを信じて、祈りと賛美をささげて主の時を待つのです。
(小室 真)
