イザヤ書 62章



61章で、「貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため」イエス様を立たせるという約束が語られていました。続く62章では、その約束のために神は働き続けると語ります。

 

1-5節:シオンのために働き続ける神

 

 

シオンを救う、つまりエルサレムの民を救う約束を神はすぐには達成されません。これに時間をかけられます。神はそのために働き続けるのです。「わたしは黙っていない。」「沈黙はしない。」と言われています。それは、神の救いが、たいまつのように暗闇を照らし、明るく光りを放つためなのです。

 

神が救いを実現するイメージが2-5節です。「あなた」とは表面的には「シオン」、女性名詞です。ただし内容的にはキリストです。あなたの土地とはシオン。あなたの国とはイスラエル。あなたの息子たちとは、キリストに従う者たち。かつて「荒れ果てていた」、「見捨てられた」と言われた者が、「神に喜ばれる者」、「神に守られる者」と呼ばれるようになるのです。

 

5節は意味が少し分かり難い所です。「若い男が若い女の夫となるように、あなたの息子たちはあなたの夫となる。花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。」

ここでは、エルサレムに住む者とエルサレムの町の関係を結婚に重ねています。住民は一つの集団として花婿、夫です。町が花嫁、妻です。住民は町を大切にし、町のために生き、死ぬ覚悟で町を守ります。夫が妻を守る姿がこれに重ねられています。一方で、神とエルサレムの関係は、神が夫であり、エルサレムが妻です。当時は、神と、町や国、そこに住む住民との関係は、婚姻関係として語られ、考えられていたのです。

 

新改訳2017では「若い男が若い女の夫となるように、あなたの息子たちはあなたの夫となる。花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。」となっていますが、現代訳は、

「主の民がエルサレムに住み、主は花嫁であるあなたを愛される。」となっています。とても分かりやすい訳だと思います。

 

6-9節:働き続けるエルサレムの見張り番

 

 

エルサレムを救う約束を完成するまで働き続けるのは、神だけではありません。6節にエルサレムの城壁を守り続けるため、神は見張り番を置きます。彼らも休まずに見張り続けるようにと神は求めています。

 

7節「主を休ませてはならない。」・・神に対して、ずいぶん上から目線な言い方に見えますが、見張り番に言っているのは、神ご自身です。

 

この節は訳によっていろいろな表現がされています。

  口語訳では、「主が、お休みにならぬようにせよ。」

  第三版では「主がエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」

  新共同訳では、「主の沈黙を招いてはならない。」

  現代訳では、「主がエルサレムを再建するまで、祈り続けなさい。」となっています。

現代訳は、意味は分かりやすいと思います。それでも、2017の訳には神様らしさが感じられます。

 

8-9節で、神の見張り番には、食事と飲み物が与えられます。これはパンとぶどう酒。まるで聖餐式のようです。しかもそれを神の宮で頂くのです。見張り番とはキリストに従う者たちのことです。一方で「異国の民」は、キリストに従わない者たちのことです。

 

10-12節:来たりくる救い

 

 

62章のエルサレムは、地図の上のエルサレムではなく、キリストの国であり、教会でもあります。黙示録22章12-16節を見てみましょう。「報いを携えて来る」「門を通って都に入る」「輝く明けの明星」など、62章の内容と重なっているところがたくさんあります。

 

 

黙示録を書いたヨハネは幻でイザヤ62章に預言された、新しいエルサレムを見ていたのです。

 

イザヤは、神の見張り番が神によって整えられること、その見張り番がエルサレムの救いを祈り続けることを神から聞いていました。私たちは、見張り番として、祈り続けるように神から言われているのです。

(小室 真)