前回の35章までエルサレムの救いの預言が語られてきました。今日から始まる36~39章はその預言がどのように成就したかが記録されています。
全体を6つに分けて、節ごとに見ていきます。
1-3節:布さらしの野への大路
アッシリアの王センナケリブは、エルサレムとエジプトの間にある町ラキシュに陣取ってエジプトからの攻撃に備えていました。センナケリブは、総督の一人であるラブ・シャケに大軍を与えてエルサレムを包囲させました。
ラブ・シャケは布さらしの野への大路に立ってエルサレムの高官たちに会います。布さらしの野への大路は、いわくのある場所です。以前、イザヤ書7章に出てきました。ヒゼキアの父アハズ王の治世に、預言者イザヤは幼子シェアル・ヤシャブを連れてこの大路に来て、神のことばをアハズ王に告げました。北イスラエルとアラムの連合がユダを攻めようと企んでいました。王はこれに対抗しようとアッシリアを頼ろうとしていました。イザヤはアハズ王に警告します。主により頼むのでなく、アッシリアに頼ると、逆にアッシリアがエルサレムを攻めることになるというのです。その後、北イスラエルとアラムはアッシリアに滅ぼされました。アハズ王はアッシリアを頼り、南ユダは取りあえずは生き残りましたが今、その時のことば通りにアッシリアに滅ぼされかけているのです。
4-6節: ラブ・シャケ ヒゼキアを責める
ラブ・シャケはヒゼキア王への言葉を伝えます。おまえはアッシリアを頼っていたはずなのに、今やアッシリアに背き、エジプトに頼ろうとしているではないか。ヒゼキア王がアッシリアを裏切っていることを王セナケリブは知っているぞというのです。実際にヒゼキアはアッシリアがエルサレムを征服しようとしていることに気が付いて、エジプトに助けを求めていました。
7-12節:主がアッシリアを遣わす
アッシリアにはエルサレムの内部事情が筒抜けでした。ヒゼキア王が語っていた「われわれは、われわれの神、主に拠り頼む」という言葉や、ヒゼキア王が高い所の祭壇を取り除いたこと、戦車と騎兵を見てエジプトとの同盟を結んだこと、イスラエルの神がアッシリアを使ってエルサレムを攻めさせるとイザヤが預言していたことも知っていました。お前たちの神の命令でお前たちを滅ぼすのだと言われては、誰も反論出来ません。ラブ・シャケはこれをユダヤ人の言葉、ヘブル語で話しましたから民衆は何を言っているか分かったのです。ラブ・シャケはユダヤ人だったかもしれませんが、エルサレムの王と民衆を分断させようとしています。
13-17節:民への誘惑
ラブ・シャケは、エルサレムの兵士や住民を脅して、ヒゼキア王に従わずに降参するようにと誘惑しました。民が従えば、自分の農産物を食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる、と おいしい話をした上で、ユダヤの民を奴隷にするという意図もひそませていました。
18-20節:主へのあざけり
イスラエルの神がアッシリアを遣わしてエルサレムを責めさせていると口では言いましたが、ラブ・シャケはイスラエルの神を信じてはいません。彼は言います。「主がエルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。」アッシリアが征服したアラムのいろいろな神に何の力もなかったように、イスラエルの神も力があるはずはないとあざけっているのです。
21-22節:民の沈黙
ラブ・シャケのことばに対する民の反応が、21-22節です。民は沈黙していました。それは王がしゃべってはいけないと命じていたからですが、王の命令に従ったのは、彼らの中に、神の民としての信仰があったからです。当然彼らは、ダビデの詩篇を覚えていました。詩篇62篇5-8節を見ましょう。
「私のたましいよ黙ってただ神を待ち望め。私の望みは神から来るからだ。
神こそわが岩わが救いわがやぐら。私は揺るがされることがない。
私の救いと栄光はただ神にある。私の力の岩と避け所は神のうちにある。
民よどんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。セラ」
イスラエルの民は、弱く、倒れそうでしたが、主がエルサレムを救うというイザヤの預言を思い出しそのことばに従う王の姿を見ながら、主を待ち望み、王のことばに従って黙っていたのです。
沈黙は、自分の口を閉じて、自分の心の耳を開く行為です。
自分の心に蓄えた神のみことばに耳を傾けるのです。
(小室 真)
