イザヤ書 8章



1-22節

7章でイザヤがアハズ王に示したしるしが、8章で更に具体的に書かれています。

神が与えたしるしは7章の13-17節、「処女が身ごもり男の子を産み、名前をインマヌエルと呼ぶ。その子が育つ前に、エルサレムを攻めるアラムとエフライムの王の土地が見捨てられ、ユダはアッシリアに攻められる。」というものでした。

 

神はイザヤに命じます。1節、大きなプラカードに人々が読みやすい消えない字で「マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため」と書いて掲げ、それを国の責任ある人々、祭司ウリヤとゼカリヤに、この板に書かれた名前とその月日が確かであると証言させるというのです。公文書のようなもののようです。

 

その後、イザヤと妻である女預言者との間に子供が生まれます。主はその子に「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」という名前を付けるようにと言うのです。「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」をそのまま訳すと「素早く分捕り物。さっと獲物」です。長いし、意味がよくわからない、まるで寿限無のような名前です。でもこれは、神のしるしの通りに、ダマスコすなわちアラムの財宝とサマリアすなわちエフライムの分捕り物が、アッシリアの王の前に素早くさっさと持ち去られるという預言でした。

 

イザヤもイザヤの周りの人々もこの子を呼ぶたびに、「素早く分捕り物。さっと獲物」と何回も言い、また聞くことになるのです。知らない人は、いぶかってその名前の由来を聞いて、神からの預言を聞かされたのです。子供が小さいとき、人は人生で一番名前を呼びかけられます。みんな耳にタコが出来るほどでした。

 

6節の「この民」は北イスラエル、エフライムの民のことです。シロアハの水とはギホンの泉からエルサレムに取り込まれた生きるための水ですが、ダビデ王朝を支える神の象徴です。レツィンはアラムの王、レマルヤの子はエフライムの王ペカです。北イスラエルの民が、イスラエルの神から離れアラム王やペカ王を支えているので、エフライムはアッシリアに攻められる。アッシリアの勢いはユダにまで及んでユダを苦しめる。というのです。インマヌエルと呼びかけているのは、7章の預言で、若い女性が身ごもって生んだ男の子のこと、マヘル・シャラル・ハシュ・バズのことです。この子に一時的に与えられた呼び名です。真のインマヌエルはイエス・キリストを待たなければなりません。

 

9―13節、隣国であろうと遠く離れた国であろうと、いかなるはかりごとをしても、南ユダを攻め落とすことは出来ない。南ユダは神がともにおられるインマヌエルの国だから。周りの国を恐れてはならない。ただ主だけを恐れなさい。イザヤは南ユダに語りかけますが、国の指導者も民もつまずき、神を信頼しきることが出来ない。逆にイザヤを責めるのです。

 

17-22節、だが、『私は主を待ち望む。・・・私はこの方に望みを置く。』とイザヤは自分の生きる姿勢を宣言します。イザヤに与えられた二人の子、長男シェアル・ヤシュブ「残りの者は帰って来る」、次男マヘル・シャラル・ハシュ・バズ「素早く分捕り物。さっと獲物」は、現実のこととなりました。二人の名前はイスラエルに対する神のしるしでした。不思議となっていたのです。それはイザヤにとっても大切なしるしでした。イザヤは神が語ることは何であれ、そのことばに従って語る決意を更に固めるのですが、彼の目に映るのは苦難と暗黒というイスラエルの現実でした。

 

それでも、イザヤは語り続けます。それが、この地にとって夜明けになると確信していたのです。

『私は主を待ち望む。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みを置く。』

私と、主が私に下さった子たちは、万軍の主からのイスラエルでのしるしとなり、また不思議となっている。

 

私たちの上にも、主は多くのしるしを下さいました。今まで教会で証されてきたこともあれば、まだ証されていないこともあると思います。このしるしをしっかりと心に刻み続けることは、苦難と暗黒の状況下であっても、主に信頼して生きていく力となるのです。

(小室 真)