イザヤは、19章でクシュにもエジプトにも主の救いがあると宣告しました。でも救いの前に苦しみが来ることをイザヤは預言しています。20章では、彼らが受ける苦しみについて、神はイザヤを通して伝えました。伝える方法は、とても変わった方法でした。
アシュドデはペリシテ領の一都市です。
かつて預言者サムエルの時代、イスラエルはペリシテと争って苦戦をしいられたことがありました。イスラエルの長老たちが神の力を得ようと「神の箱」を持ち込んだのですが、ペリシテに奪われてしまいました。(Ⅰサムエル4章)。ペリシテはそれを戦利品としてアシュドデのダゴンの神殿に持ち込みました。朝になるとダゴンの像のからだがバラバラにされて倒れていました。更にアシュドデの人々は腫物をわずらったために神の箱を恐れたのです。神の箱は町から町へと移されたことが思い出されます。
イザヤが奇妙な行動をとっていたのは、アシュドデがアッシリアに攻め取られる3年前となっています。アシュドデの王、アズリはアッシリヤに従って高額な税を納めていました。
3年前のB.C.713年ヤマニという指導者がアズリ王をアシュドデから追放してアシュドデを支配し、アッシリヤへの貢物を止めて、さらに周辺の国々に反アッシリアを働きかけていきました。この動きに乗ったのがエジプトやクシュでした。南ユダのヒゼキア王は神に従う王様でしたが、これに乗ろうとしていました。
神はアッシリアのことを「わたしの怒りのムチ」と呼び、アッシリヤに逆らわず、従うようにイザヤを通して何回も預言していました。7章20節、10章5節、19章25節があります。しかしヒゼキアは神の思いに反して、アッシリヤに対抗する同盟に入ろうとしました。イザヤは、荒布をまとってユダのためにとりなしを祈っていました。神の憐みを求める時、荒布を着るのです。ダビデも、エステルもそうでした。
神は、イザヤに「行って、あなたの腰の荒布を解き、あなたの足のはきものを脱げ」と言われたのです。足のはきものを脱ぐのは、喪に服することを意味します。もう神に憐れみを求めるのはやめて、南ユダのために喪に服せ。と言われたのです。南ユダは大変な状況におちいるというのです。
イザヤは外を歩く時、裸になって裸足で歩きました。この姿は、肉体労働の奴隷か、町を引き回される罪人の姿です。しかも、一回だけでなく、夏も冬も。毎日。3年間。
このイザヤの奇妙な行動は、人々の目をひき、嘲笑されました。周りの人は、びっくりします。「イザヤのおっさん、どないしたんや。ついに気が狂ったんちゃうか。」イザヤは黙々と、ただ主から言われたまま行動しています。でも3年たって、アシュドデがアッシリヤに攻め取られた時初めて、人々は神のことばを理解して受け入れることが出来ました。
そのことばが3-6節です。
ダマスコを攻め取ったアッシリアによって、エジプトもクシュも攻められ、捕らえられた捕虜は、若い者も年寄りも、裸にされ、裸足のまま、尻をあらわにして、恥をさらしてアッシリアに連れて行かれる。というものでした。
イザヤは、王にも民衆にも神のメッセージを行動で伝えていました。奴隷に引かれていくことがアシュドデにそのまま起こったのです。その後、更にエジプトもクシュもアシュドデと同じように奴隷としてアッシリヤに引かれていきました。ユダの多くの町も略奪されましたが、神の警告を受け入れ、神にだけ信頼することで、エルサレムは守られたのでした。
イザヤのように、不思議なことを神に求められることがあります。パウロも、キリスト者を熱心に迫害していたのに、突然キリストをのべ伝える者にされました。宣教活動中ずっとユダヤ人から迫害され、はずかしめに会いました。ピリピ人への手紙1章20節でこう言っています。「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」
裸で裸足で歩いている間、イザヤも、神があがめられるようにと願っていたのだと思います。
私たちにとって恥ずかしいこと、苦しいことでも、やりなさいと聖霊に導かれることがあります。私たちが言うにしても行うにしても、自分の利益ではなく、神が、キリストがあがめられることを第一にすることが求められるのです。イザヤも、パウロも、イエス様もそのようにして歩んだのです。そして、それは必ず実を結んだのです。
(小室 真)
