イザヤ書24章は「地への裁きと主の栄光」についてです。
13章から今まで周辺諸国に対する主の宣告が続いていました。エジプトへの宣告では異邦人のエジプト人を主は自分の民と呼び、世界じゅうが主に仕えるようになると示していました。その中には富を生むツロもありました。ツロは苦難から回復すると、ツロの富は主に仕える人たちのために使われると言われました。
24~27章では、終わりの時に主が世界中に行なわれることが書かれています。そのイメージは同じ旧約のダニエル書、また新約のヨハネの黙示録でも同じように伝えられています。
24章を5つに分けて見ていきます。
1.散らされる民
2.荒廃の原因
3.残りの者が帰って来る
4.そこで起こる神のさばき
5.エルサレムの王の栄光
1-4節
終わりの日に神が、地を荒らされることが書かれています。どの立場の人々も等しくその災厄に巻き込まれ、高貴な人たちも同じく嘆き悲しむとイザヤは言います。マタイの福音書でもイエス様は、「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難がある」と弟子たちに、言われました。
その原因が5節です。
神が災いを送られるのは、地の住民が永遠の契約を破っているからだと言います。マタイ22章では、律法の中で、どの戒めが一番重要か。とイエス様は聞かれて、答えています。一番重要なのは『心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』そして『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』も重要で、この二つに律法と預言者の全体がかかっている。と言われました。イザヤが言った律法、定め、永遠の契約というのは、神を愛し隣人を愛することなのです。
荒廃の結果が6-12節です。
住む人が減るだけではありません。ぶどうの収穫に代表される地の産物はならず、人々の生活や心を明るくする音楽も喜びも消え、残るのはうめきと哀れな叫び声です。賑やかだった町もすたれて、門も壊れたままになっています。世界は、打ちひしがれた姿のままでいるかというと違います。
13-16節
その日、諸国に散らされた住民の残りの者が集められ喜び歌っています。その様子が、摘み取り残したわずかなぶどうやオリーブの実を集める姿にたとえられています。集められる者は、「正しい方に誉れあれ」と叫んでいます。正しい方とは、イエス・キリストの事です。
ところがそのあと起こる患難の姿を見て、イザヤは苦しみ、うめいています。「私はだめだ、私はだめだ。なんと私は不幸なことか。裏切る者は裏切り、裏切り者は、裏切り、裏切った。」そして、人々が恐怖の罠に苦しめられる姿が語られます。
17-20節:
イザヤが見ていたのは、弟子の裏切りとイエスの十字架、イエスを認める者の救いとローマから受ける迫害、その後ユダヤの民が受ける略奪と殺戮の歴史を走馬灯のように見せられたのではないかと思います。イザヤにとって、頭を抱えて、苦しみうめく出来事でした。
21-22節に最後のその日について語られています。
これはイエス様の再臨の後のことです。これは、ヨハネの黙示録12章と20章にも預言されています。そこには、天に戦いが起こって、サタンが負けることと、天の御使いが天から下って来てサタンを捕らえて、千年が終わるまで、底知れぬ所に閉じ込めることが書かれています。
黙示録12章7-8節には、「さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。」
黙示録20章1-3節では「また私は、御使いが底知れぬ所の鍵と大きな鎖を手にして、天から下って来るのを見た。彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。」
悪霊は天に住むことのできる場所が与えられていましたが、天から追い出されます。地上で神に逆らっていた者たちと共に捕えられます。イザヤの預言と同じ姿をヨハネも見せられていました。
23節:
ここは比喩的な表現です。主の栄光があまりにも明るく輝いているので、月や太陽の光がかすんでしまう、という意味です。それだけ神の栄光の光が強いのです。イエス様が再臨されてエルサレムに戻ってこられると、そこから世界を統治されます。
16節で 地の果てから、私たちは、「正しい方に誉れあれ」というほめ歌を聞く。とありました。地の果て・・日本でしょうか。この「ほめ歌」には世界中の教会の賛美と祈りも含まれているかもしれません。
私たちは、キリスト者として何をすべきかと、時々考えさせられることがあります。
それは大きなことではありません。神を愛し隣人を愛する。そして正しい方に誉あれと褒め歌を歌う。それで十分です。主は暖かい目であなたのことを見ておられます。
(小室 真)
