第一サムエル記 3章



サムエルは、それまでの養育係エリの手を離れて、これからは神が直接導こうとされています。サムエルとエリを通して神の御心を学びたいと思います。

 

<宮での出来事>

1節にあるように、『少年サムエルがエリの前で【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されませんでした』が、21節にまとめられているようにこの日、『【主】は再びシロで現れた。【主】のことばによって、【主】がご自身をシロでサムエルに現されたのです。』これは、サムエルにとって、エリにとって、イスラエルにとって、大きな変化をもたらす出来事でした。神のことばが直接語られるようになったのです。人々はどのように受け入れ対応していったのでしょうか。神はどのように思われていたのでしょうか。

 

<サムエルにとって>

エリは、自分は宮の出入り口に近い自分の部屋で寝泊まりし、サムエルを神に仕える者として神の箱の安置されているその前に一人寝かされていました。神の灯がまだ消えていず・・とありますので夜明けにはまだ時間がある頃です。自分の名前を呼ぶ声を聞き、エリのもとに行きます。これが3回ありました。更にエリに教えられた通り、4回目にその声に応えます。「主よ、お話し下さい。僕は聞いております。」文句も言わず繰り返し従う少年サムエルの従順な姿がありました。

そこでサムエルに語られた神の言葉は、自分を育ててくれた祭司エリに対する厳しい言葉でした。『みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のため、わたしはエリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に償うことはできない。』

神のことばをサムエルは理解しました。サムエルはエリに語るのを恐れたことに表れています。自分が日頃疑問に思っていたことへの神からの答えであったかもしれません。

 

10節、「主が来られそばに立って」と書かれています。・・・サムエルが、神のことばと幻を受けたのです。2章31節で神の人が「年寄りがいなくなる日が近づき」とエリに告げたように、サムエルの養育者だったエリが亡くなり、これからは神ご自身がサムエルを直接導くことを示されたのです。

 

<イスラエルにとって>

イスラエルにとっては、生きておられる神を再び身近に知る時が来たことを示していました。

20節に書かれているように、サムエルは、祭司であるだけでなく『預言者』として神によって定められたのです。出エジプトの時は、アロンは祭司として、モーセは預言者としてイスラエルを導きましたが、サムエルはこの両方の役割を担う者とされたのです。神の力を示す器、神の民に王を与える権威を持つ器が民の前に現れたのです。これは、イスラエルの上に神の大きな計画を進めるための一つの布石でした。

 

<エリにとって>

エリにとっては、神のことばに従えない自分を知るときでした。

3回の呼びかけによって、神がサムエルに直接語りかけようとしている事をはっきり悟るための出来事でした。

それまではエリがサムエルの養育係でしたが、これからは神がサムエルを直接導こうとされているということを示しています。

エリとその一家が祭壇から断ち切られ、神に忠実な祭司が起こされる事を示しています。

かねてから、民からのよこしまな息子たちに対する訴えがあり、「人が【主】に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか。」と、神をも父をも恐れず罪を犯し続ける息子たちをエリは諫め(いましめ)ました。それでも言うことを聞かない息子たちを放置していました。

 

その後更に、神の人がエリに伝えます。「あなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。」エリはそれでも動きませんでした。

そして、サムエルに語られた神のことばを通して「自分の息子たちが、みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためエリの家を永遠にさばく。」

エリは、「その方は【主】だ。主がみこころにかなうことをなさいますように。」とやはり動かないのです。エリは神から3回示されていたのです。

 

エリは、祭司ですから、神に対して何が良く、何が悪いか判断する力を持っていました。

宮で一心に祈るハンナが酔っているのではないかと思い、ハンナを注意します。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

息子たちの悪を知り一度は責めますが放置していました。

エリに欠けていたものは、何だったのでしょうか。

 

それは、行動です。

自分を変えるための行動。確かにエリは目もかすむほどの老人でしたが、神に従って歩んできた者でした。

神は、民の声、神の人の声を通して、エリが変わることを望んでおられた。

しかしエリは『主がみこころにかなうことをなさいますように。』と言うだけで、

『主のみこころにかなう者となろう』としなかったのです。

 

神は、ハンナの心を注ぐ祈りを見せ、

その祈りを通して強く立ち上がる姿を見せ、

ハンナの祈りから生まれた、素直なサムエルを見せつづける程

神は実に忍耐強くエリの改心を待っておられました。

しかしエリは、自分を変えてくれる神を信じて行動する、祈りの一歩を踏み出さなかったのです。

 

私達は、神の愛を知り、神の愛を語っています。それでは、その愛を行っているでしょうか。愛を行えない自分を認めた上で、心を注いで祈っているでしょうか。

神が待っておられるのは、「主がみこころにかなうことをなさいますように。」という祈りではなく「主のみこころに従う者に私が変わる力をお与え下さい。」という祈りではないかと思うのです。

主はもっと近くにいるのです。3章10節のように、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げ、話しかけていただける存在なのです。

(小室 真)