イザヤ書 29章



1-24節

28章でシオンに試みを経た尊い要石を神は据えて、南ユダを救われるという預言を与えました。要石を据えられる神は、口先だけの礼拝を真の礼拝にされると預言します。

 

1-8節:これから起こるエルサレムへの攻撃と救いが語られます。 

 

 

1節のアリエルとは、エルサレムを意味しますが、祭壇の炉という意味も持っています。いけにえがささげられるところです。神はこのエルサレムの周りを敵の陣で囲んで、エルサレムが神にへりくだるようにさせると言われます。3、4、6節の「あなた」はアリエル、エルサレムのことです。エルサレムが低くされると、この敵対する者は突然、もみ殻のように、幻のように消え去ってしまうというのです。エルサレムを取り囲むアッシリヤの軍隊のことです。全て神の働きなのです。

 

9-16節:エルサレムが試練を受ける理由が語られます。

 

 

読み書きが出来る人とは、預言者のことです。イザヤ以外の預言者たちの目は閉ざされています。他の人も皆、神のことばを求めていないのです。人々は、神の恐ろしさだけを教え込まれていて、自分から神を知ろうと思わない。書かれた神のことばを読もうとも思わないのです。

 

エルサレムが試練を受ける具体的な理由が語られます。13節、エルサレムの民は建前で・・つまり慣習や、周りの目によく映るように神に近づき、口では神を敬いながら、その心は神から遠く離れている。15節、自分の悪だくみを心に隠し、神に知られないと思っている。更に16節、自分を造られた神に向かって、私を造ったのは神ではないと言い、神はでしゃばりで厚かましいと考えている。そこで、神は民に直接、不思議なことを体験させようと言うのです。つまり、5節に書かれたことです。エルサレムを取り囲んでいた敵の群れが突然、ほこりのように消え去ってエルサレムが救われるという奇跡です。

 

17-21節:神によるエルサレムの回復が語られます。 

 

 

敵の群れが突然、消え去るという奇跡が起こるだけではありません。さらに続く、その日に起こる奇跡が語られます。17節の「もうしばらくすれば」、18節の「その日」は、アッシリヤからの回復の時よりさらに後の時代、イエス様がこの世に来られてからのこと、キリストによって完成する時代のことです。

 

レバノンは肥沃と多産の象徴です。豊かな果樹園が広がっていく。ずんずん増えて、森のようになっていきます。目が見えず、耳が聞こえない人とは、神を知らず、神のことばに耳を傾けようとしたこともない人々のことです。そんな人たちが神のことばを見聞きするようになります。柔和な者、貧しい者、弱く略奪の対象だった人々が神の守りを得て喜びにあふれる。横暴な者、神をあざける者、悪いことを企む者は滅ぼされるというのです。

 

22-24節:ヤコブの家の守りについて語られます。

 

 

ヤコブの家とは、神に従う者達のことです。現在で言えば、キリスト者たちです。ヤコブの家に与えられる主の守りはこうです。恥をかくことがなく、失望することなく、神のみわざを見て恐れ、心が迷っていても悟りを得て、不満を言っていた者も主の教えに従うようになる。

 

29章全体で、南ユダの人々の目の前にあるアッシリヤからの奇跡的な救いと、その延長にある神に信頼する民の救いをイザヤは預言しています。

 

18節「耳の聞こえない人が、書物のことばを聞き、目の見えない人の目が、暗黒と闇から物を見る。」とあるように、神を知らず、神のことばに耳を傾けようとしたこともない人々が本当の神のことばを聞き、神の救いが伝えられるというものです。全ての人に向けられたことばです。闇に輝いているのは人の光、イエス・キリストです。一人一人の心に「わたしはあなたがたを愛している。」(マラキ1:2)という神のことばが深く留まるためなのです。

(小室 真)