ローマ人への手紙 16章



1-2節

ローマ人への手紙の本文は15章までで終わりました。最後の16章は、個人的な挨拶になっています。知らない人の名前が並んでいますが、読み進めると興味深いものがあります。この手紙が書かれた背景や、この頃の信徒の様子を知ることが出来るからです。

 

1-2節は、「ケンクレアにある教会の奉仕者であるフィベ」について書かれています。

ギリシャの南に位置するペロポネソス地方は、細長い地峡でギリシャ本土とつながっています。この地峡の西側はイタリアに接するイオニア海、東側はシリヤ方面、エーゲ海です。西側にある町がコリント、東側にある町がケンクレアです。パウロはこの手紙をコリントの教会で書いていました。

 

パウロは第二回伝導旅行で1年半コリントの教会で教えていました。その後、ケンクレア教会によってからエルサレムに戻りました。その時のことが、使徒の働き18章に書かれています。(9-18節)パウロが誓願を立てて髪を剃った所が、ケンクレアの町でした。

 

1節で、「フィベを、あなたがたに推薦します。」と書いています。当時、郵便屋さんが手紙を運ぶのではなく、個人的につながりのある人にお願いして手紙を運んでもらっていました。手紙を運んでくれる人を紹介するときに、このような言い回しをしていたようです。「教会の奉仕者」には給仕をする人と言う意味と、教会の役職の執事という意味があります。2節の説明からは執事に近い役割を担っていたようです。

 

2節で、パウロは「彼女を歓迎して欲しい、必要なものがあれば、助けてあげて欲しい」と頼んでいます。ケンクレアにいた時に、パウロは彼女がキリスト者として働く姿を見、また自分自身も世話を見てもらった経験から、フィベに信頼していたのでしょう。2000年前にギリシャからローマまで旅をする女性です。活動的で勇気もあり肝も据わって経済力もあったと思われます。

 

フィベは自分の用事で、コリント港からローマに向かう船に乗ろうと、ケンクレアからコリント教会に来ていたと思われます。それに合わせて、パウロはローマ人の手紙を書いたのではないか、フィベのローマ行きが、この手紙が書かれたきっかけとなったのかもしれません。

 

今から2000年前、一人の女性がパウロから託された手紙をローマの信徒に届けました。盗まれないように、水に濡れないように、大事に大事にローマに届けたのです。それが私たちにまで届いて、今、読んでいるのです。一気にフィベに親近感がわいてきます。

 

福音宣教の現場で活躍していたのはペテロやパウロだけでなく、自分の意志で主のために自由に活動して、教会に認められる女性がたくさんおられたのです。

 ( 小室 真 )

 

3-6節

ここでは、プリスカとアキラについてです。

 

使徒の働き18章を見ますと、パウロが初めてコリントに行ったとき、プリスカとアキラに出会ったことが書かれています。ローマ皇帝クラウディウスがユダヤ人をローマから退去させたので、この夫婦はギリシャのコリントに移っていました。二人ともユダヤ人キリスト者だったのです。夫婦はテント職人でした。同業者だったパウロはその家に住まわせてもらってテント作りの仕事をしていました。

 

4節には、プリスカとアキラがパウロのいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれた。という記事があります。使徒の働きには、コリントでユダヤ人たちがパウロに反抗して立ち上がって、彼を法廷に引いていったことが書かれています。二人がパウロのいのちのために身を危険にさらした出来事とはこのことだったのかもしれません。この夫婦が命を懸けて助けてくれたことを、パウロは感謝しています。その行動は、異邦人の教会にも伝えられていたようです。

 

こうしてコリントの教会で1年半教えた後、パウロがエルサレムに帰ることになりました。その時、プリスカとアキラもパウロの旅に同行しましたが、二人は途中のエペソにとどまったのでした。

 

エペソに、アポロと言うユダヤ人が来てイエスについての教えを広めようとしていました。アポロがヨハネのバプテスマしか知らなかったので、プリスカとアキラはイエスのバプテスマについて正確に教えました。個人的にプリスカとアキラはコリントにいた時、イエスについてバプテスマについてパウロから正確に教えられていたのでしょう。その後アポロは更に力強く福音の働きをしていったのです。一方、パウロもローマの教会の出来事を二人から詳しく聞いていたようです。その中にマリアの大変な労苦がありました。

 

その労苦の具体的な内容は書かれていませんが、6節「あなたがたのために非常に労苦したマリアによろしく。」とあります。マリアの労苦は教会内で忘れられようとしていたのかもしれません。教会は聖霊の導きを得ながら、人々の労苦に支えられて立っていることに聖書は目を留めています。パウロはその労苦を覚えておくようにと皆に勧めているのです。

( 小室 真 )

 

7-16節

続けて22人の名前が挙がっていますが、使徒の働きや他の手紙にその名前は、ほとんど出てきません。多くの人の名前が挨拶文に出てくるのには、当時のローマの政策が大きくかかわっています。

 

紀元49年、ローマ皇帝クラウディオはユダヤ人をローマから追い出しました。ローマに住んでいたユダヤ人の間で、イエスがキリストかどうかを巡って争いがあり、それが社会問題になりました。皇帝はユダヤ人を全てローマから追い出して解決を図りましたが、5年後にクラウディオ帝は亡くなると、かつてローマに住んでいたユダヤ人がつぎつぎローマに戻ったのです。

 

名前の上がった人々は、ローマから追い出されて、コリントやエペソなど地方の大きな都市に移住している間、パウロが建てた教会に加わって、パウロから教えられ、導かれ、教会を支える働きをし、聖霊による交わりを豊かにしていました。

 

「私の同胞」、「共に投獄された」「私の愛する」「私たちの同労者」「主にあって苦労している」という言葉、また「すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。」という挨拶から、共に戦ってきた仲間へのパウロの暖かい思いが伝わってきます。

 

ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の対立、同じユダヤ人でもキリストに敵対する者とキリストを信じる者の間の対立の中で、異邦人社会の乱れた習慣から生活を整えることなど、多くの課題について彼らはパウロと共に戦ってきたのです。

 

13節「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく。」とあります。この「選び」は特別なものと考えられています。マルコ15章21・22節イエス様が十字架にかけられる場面があります。「(兵士たち)はイエスを十字架につけるために連れ出した。兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。」クレネの田舎からエルサレムに来ていた一家の父親がイエス様の十字架を背負わされたことで、母親も息子らもキリスト者になったのです。ルフォスの母を自分の母とパウロがいうのは、たぶん、パウロの目が開かれ心砕かれてエルサレムに行ったとき、ルフォスの母が息子のように世話をしたからではなないでしょうか。そこでルフォスたちからイエスの十字架とよみがえりの証しをパウロは聞いていたと思われます。

 

ルフォス達兄弟とその母は、ローマに移っていたようです。キリストの十字架、よみがえりの生き証人がいたことは、ローマの教会にとって強い力となったはずです。更にローマに向かう大きな人の流れが次のキリスト教の広がりを生んでいきます。紀元64年ローマの大火の後、キリスト者への迫害が始まりますが、信徒の信仰を弱めることも、福音の広がりを抑えることも出来ませんでした。約250年後の紀元315年にキリスト教はローマの国教になるのです。

( 小室 真 )

 

17-20節

ここまでパウロが親しく交わったローマ教会の信徒の名前を挙げてきたのが、突然、警告に変わります。

 

クラウディオ帝が亡くなると、ローマから追い出されていたユダヤ人達は、ローマに帰って来ました。コリントやエペソなどの教会で共に信仰を深めた兄弟姉妹もローマに帰っていきました。ところが、キリストの教えを曲げて解釈しているユダヤ人たちも、その人々の流れに乗ってローマに来て、教会に分裂とつまずきをもたらす危険がありました。パウロはそれを察して、警告しているのです。

 

この危険を感じたことが、この手紙を書こうと思い立った理由の一つかもしれません。

 

17節の、「あなたがたの学んだ教え」とは、各教会で使徒たちが教えまたパウロが教えてきたものですが、その主要な教えをパウロはこのローマ書にまとめてきたのです。

 

これらの教えに疑問を持たせ、分裂とつまずきをもたらす者たちをどう見極めればよいのか、パウロは教えています。彼らの言うことが、キリストに従っているか、彼らの思いを満たすためかという視点で見ることです。滑らかで、耳に心地良い言葉は要注意です。そういう言葉を耳にしたら、だまそうとする裏の意図やキリストに対する疑いの種が隠されていないか、立ち止まって、注意深く見る必要があります。

 

ローマの教会は使徒たちから聞いたキリストの教えに従順なことは、誰もが認めていますが、新たな危険を避けるためにどうするべきか、パウロは教えています。19節「あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。」とあります。

 

「さとい」とは、常に近くにいて、チャンスがあればそれを逃さず取り入れようとすることです。「利にさとい。」と使われることがあります。利益になりそうかどうかの感覚が鋭く、利益をえるための対応が早い様子をいいます。「善にさとい。」であれば、何が善で何が悪か、感覚を磨いていて、善を行う機会がないか常にアンテナを働かせていて、迷いやためらいなく善を行える状態です。

 

「うとい」とは、常に遠く離れて手を出さないことです。「歴史にうとい。」であれば、歴史の知識がなく、歴史の話をしても興味を示さない様子をいいます。「悪にうとい。」であれば、悪いことを頭に思い描くことなく、興味を持たず、悪いことから離れて、関わらないようにする姿勢です。

 

では、善と悪とは何でしょう。

へブル人への手紙5:14には、善と悪を見分ける感覚は経験によって訓練されるものだとされています。日々みことばに照らし合わせて、ものを見分ける感覚を磨いていく必要があります。それは、自分や人をさばくためではなくて、善にはさとく、悪にはうとい生活をするためです。

 

善にはさとく、悪にはうとくあることで、分裂とつまずきをもたらす者たちの企てを、踏み砕くことが出来ます。これは、自分達だけの力によるのではなく、平和の神の力によるのです。キリストの教会はこうして守られるのです。

( 小室 真 )

 

21-24節

今度は手紙を書いている周りにいる者たちの挨拶が並びます。同席していた者は8名。聖書に名前が出てくる人が多くいます。

 

最初が、テモテ。

第2回伝道旅行で、パウロ達に同行するようになった若いテモテは、パウロの代理や使者として働くようになりました。6つのパウロの手紙の共同執筆者になっています。テモテはパウロの手紙の内容を理解し、パウロと同じ思いになってこの手紙が書きあがるのに立ち会ったのです。

 

次にルキオ。これはルカの福音書、使徒の働きを書いたルカか、使徒の働き13章のクレネ人ルキオか分かりません。紀元200年頃の神学者オリゲネスは、ルカだと考えています。ルカはパウロの第2回伝道旅行にトロアスから参加しました。パウロの忠実な同労者となって、目を患っていたパウロを医師としても支えていたと言われています。彼はパウロの伝道を支え、パウロの周りで起こったことを目撃し、記録していました。ルカはのちのち、異邦人のために「ルカの福音書」や「使徒の働き」を書くことになったゆえんも分かります。

 

次にヤソンとソシパテロ。

ヤソンはテサロニケでパウロ達を自分の家に泊めた人です。テサロニケの会堂で、イエスが主であるとあかしした時、ねたみにかられたユダヤ人が暴動を起してヤソンの家を襲いました。その場にパウロが見つからず、ヤソンと兄弟たちが身代わりとなって役人のところに引っ張られました。保証金を払って釈放されてから、パウロの伝道旅行に参加していきました。

 

テルティオの名前は聖書の他の所には出てきません。当時の手紙は、パウロが語り、書記が書き留めて書かれていました。書記と言っても、語った言葉をそのまま文章にするのではありません。ギリシャ語の文法や修辞法を生かして文を起こして、間違いのない格式高い手紙に仕上げる仕事です。筆記者が名前を書くことが許されたのは、彼がキリスト者だっただけでなく、この手紙を書きあげるのに並々ならぬ力を発揮した証だと思います。聖書研究をしている研究者は、ローマ書の文章を高く評価しています。

 

そして、ガイオ

パウロからバプテスマ(洗礼)を受けたコリント人です。彼は自分の家を教会に提供するようになり、パウロはそこに泊るようになりました。執筆中に「私と教会全体の家主」とパウロが呼んでいることからも、コリントのガイオの所でローマ書が書かれたと考えられています。

 

最後に市の会計係エラストとその兄弟クアルト

コリント市の会計係であるエラスト。紀元50―100年頃のコリントの遺跡に,「公共建築の管理官に任命されたことを感謝して,エラストが自費で道路に大理石を敷き詰めた」と書いた碑文が見つかりました。このエラストと同一人物と考えられています。ローマ人への手紙が世界史の上でも史実として認識された出来事でした。

 

今日の所では、異邦人の教会を支えてきた8人が、何日もかけて完成したこの手紙をパウロと一緒に取り囲んで、ともに喜びながら、ローマの人々に挨拶を書き加えている姿が目に浮かびます。感動的な瞬間です。

 

実は挨拶しているメンバーの名前から、ローマ人への手紙が、パウロの第三回伝道旅行の間に、コリントの教会で書かれたという事実が分かるのです。各手紙は聖霊の導きによって書かれた物ですが、どのような状況で誰に向けて書かれているのか、そこに係ったキリスト者たちの様子を思い描きながら、読むことで、みことばが親しいものになってきます。そして、各手紙や使徒の働きと照らし合わせながら手紙を読むことで、みことばの意味を深く理解することが出来るようになります。

( 小室 真 )

 

25-27節

最後の節です。鍵カッコが付いているのは、現存している写本にこの節があるもの、無いもの、いろいろあるのでこのような表記になっています。私たちは、今、与えられている聖書をそのまま読んでいきます。

 

さて、教会と各信仰者を守るための教えをまとめ終え、パウロが親しく交わったローマ教会の信徒の名前を挙げよろしくと伝え、手紙を書いている周りにいる者たちの挨拶が並んできました。今日の所は、手紙の最後、神をほめたたえる頌栄の言葉です。

 

この頌栄の言葉は、切れ目のない長い文章でわかりにくくなっています。分解して考えましょう。中心は、27節。「唯一の神に、イエス・キリストによって、栄光がとこしえまでありますように。」と神を褒めたたえる内容です。その前の25~27節はすべて「唯一の神」を飾っている言葉です。

 

飾っている言葉を見ていきましょう。

どういう神か・・・あなたがたを強くすることができる神です。

どうやって強くされるのか・・・あなたがたが神の奥義の啓示を受けることによってです。

奥義の啓示の役割は・・・今まで神を知らなかった異邦人が神を知り、神を素直に信じるようにするものです。

奥義の啓示は今までなかったのか・・・旧約聖書で預言者を通して語られていましたが、その意味は神によって隠されていました。それで旧約の時代には人々は知ることが出来なかったのです。イエス様が来られて、十字架とよみがえりを通して初めて明らかにされたのです。

その奥義の啓示とは、パウロが行っている福音、イエス・キリストを伝える宣教によって人々に伝えられたのです。

 

この頌栄の内容は、ローマ人への手紙全体を通して語られてきたものです。

 

この手紙で、語ろうとした内容を、パウロは1章にまとめていました。

1章1節「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選びだされ、使徒として召されたパウロ」~奥義の啓示がどのように知らされるのか を説明しようとしています。

1章2節「福音は神がご自分の預言者を通して聖書にあらかじめ約束されたもの」~奥義の啓示が、旧約聖書に書かれていながら隠されていたことを 説明しようとしています。

1章5節「すべての異邦人の中に信仰の従順をもたらすため」~奥義の啓示の役割を説明しようとしています。

 

このように、手紙の始めに、神の奥義の概要を示し、文中で奥義について詳細を語り、最後に素晴らしい奥義を与えてくれた神を褒めたたえる。ローマ書は長い手紙でしたが一本の筋が通った手紙です。

 

16章は教会員同士の挨拶が並んでいて、この部分は手紙のつけたしのように見る見方もありますが、最後に頌栄が置かれていることで、教会員同士が挨拶を送り合って愛し合うことまでを、神の御業として神の栄光を褒めたたえているのです。

 

16章25―27節は、このローマ人の手紙最後を締めるのにふさわしい頌栄だと思うのです。

( 小室 真 )