ローマの教会で問題になっていた、食習慣や、大切にする日の習慣にこだわる人々とこだわりのない人との間の争いをめぐって、「信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。」とパウロは教えてきました。
パウロは自分達「力のある者」は、「自分を喜ばせるべきではありません。」「隣人を喜ばせるべきです。」と教えます。その力とは人を受け入れる力です。自分の思い通りになれば気持ちはいいですが、自分とぶつかる相手の思いを潰すことになります。相手を受け入れる力があるなら、自分とは意見の違う人をそのまま受け入れて、その人の立場を理解しながら、対等に付き合い、その人と共に喜び悲しむことを教えます。
3節で十字架の死にまで従ったイエス様の姿をパウロは引き合いに出しています。イエス様は貧しい大工の子として生まれました。人目を避けて生きていたサマリヤの女や、足が萎えた病人や、嫌われ者の取税人のところに来ては、心や体をいやして喜びを与えました。最後には多くのイスラエルの民からののしられながら十字架で死なれました。その神へのののしりをイエス様はご自身が受けながら死なれたのです。イエス様の一生は、神の子とは思えない生き方でした。自分を喜ばせることを求めず、人の罪を背負われたのです。イエス様の思いに比べれば、同じ信仰にいる他の人を受け入れることはとっても小さな力です。
この世に来られたイエス様は誰を喜ばそうとしたのでしょうか。イエス様にいやされた者、救われた者です。でもイエス様が一番に考えられたのは、父なる神に喜んでいただくことでした。神の喜びが、イエス様の喜びでした。そして神を信じて従う者達が神の喜びに入れられること、それが神の喜びなのです。
「自分を喜ばせるべきではありません」というパウロの勧めの目的が、2節以下にあります。「一人ひとりの霊的な成長のため」であって、4節の「私たちが希望を持ち続けるため」です。そして、5節の「キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱く」ようになることであって、6節の、私たちが「心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえ」るためなのです。
自分とは異なる信仰のこだわりを持つ人を私たちが受け入れて、忍耐した先には、大きな喜びが与えられます。それを知ることが霊的な成長です。イエス様を愛するという同じ思いを抱く兄弟姉妹と心を一つにして神に賛美をささげるという希望が与えられるのです。
教会はイエス様と神を信じる者が一つとなって喜びに満たされる場所です。教会は地に開かれた天の御国です。
( 小室 真 )
ヤーウェの神はイスラエルの民の神となり、イスラエルは神の民となって、神から祝福も律法も与えられ守られてきました。その契約と記録が旧約聖書です。だからユダヤ人は、この聖書はイスラエルの民、ユダヤ人のために与えられたものだと理解していました。ところが4節で「かつて書かれた物はすべて私たちを教えるために書かれました。」とパウロは書いた「私たち」とはユダヤ人も異邦人も合わせたキリスト者のことでした。
ローマ人への手紙の初め、1章5節で「御名のために、全ての異邦人の中に信仰の従順をもたらすために」使徒の務めを受けている。とパウロは自己紹介しています。ですから、パウロがローマの教会に向けて「私たち」と言うとき、異邦人を意識しています。この異邦人には私たち日本人も含まれています。
実際に、聖書に書かれた異邦人にかかわる記事がローマ書にはここでは、いくつも紹介されています。
9節 「それゆえ、私は異邦人の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います」
これは、第二サムエル記22章50節。ダビデが異邦人の国を取り込んでイスラエル王国を建てた時、異邦の民と共に主を褒めたたえたダビデの言葉です。
10節 「異邦人よ、主の民とともに喜べ。」 これは申命記32章43節。モーセが遺言としてイスラエルに残した預言です。やがて神は異邦人を救ってイスラエルにねたみを引き起こし、最後にはイスラエルも救うというものです。異邦人も共に神を賛美するようにと促しています。
11節 詩篇117篇1節 すべての国、国民に向けて主を賛美するよう勧めている短い歌です。
12節 イザヤ書11章10節 メシヤが異邦人のために立ち上がり、異邦人は彼に望みを置くという預言です。
異邦人への福音という視点で旧約聖書を見直したパウロは、そこに書かれた異邦人に対する救いと希望を読み取ることができました。ここで挙げられた4つの事例は、サムエル記という歴史書、申命記という律法の書、詩篇、イザヤ書という預言書です。旧約聖書にまんべんなく異邦人の救いが書かれていることをパウロは意図をもって示したのです。
7節で、「神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださった。」と書かれています。異邦人である私たちがキリストを神の子と信じることが出来たのは、イエス様が私たちを受け入れて下さったからです。だから、聖霊が働かれて、神の民でない私たち異邦人に神の恵みと平安、希望が与えられる。聖書に書かれたことが実現して、神の栄光が現われるのです。
13節でパウロは、異邦人に対する祝福をあなたのために祈っています。
「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。」
( 小室 真 )
ローマの教会に向けての教えは、ここまでで一段落です。教えの中で、パウロは、かなり厳しい表現もしてきました。14章4節では「他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。」10節で「どうして自分の兄弟を見下すのですか。」15節「あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。」どれもはっきりと厳しく戒めています。
ただ、厳しいことばで伝えたのは、ローマの教会の人々が、厳しいことばを通して、「善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができる」ようになるという確信があったからでした。
その確信は、イエス・キリストに仕えることが自分の役割だと、パウロが肝をすえたことから生まれるものでした。イエス様から示されたことを相手に対して恐れずに語ること。その結果はイエス様が責任を持って益として下さると信じて、主にゆだねる。それがイエス・キリストに仕える者の役割だと認識していたのです。
16節から、イエス様に仕える者の役割が具体的に語られています。それは、神の福音を伝えて祭司の務めを果たすこと、つまり、聖霊によってイエス様を信じるすべての人を神の子だと宣言し、更に神に喜ばれる聖いものとして導くことでした。
当時ユダヤ人が集まるシナゴーグで祭司は律法を守るように教えていました。一方、パウロは祭司としてその律法の書から、イエス・キリストが神の子であることを説いて、異邦人にもたらされる恵みを教えていました。
神殿で祭司は、牛や羊や鳥を殺して悔い改めのいけにえを神にささげていました。一方、パウロは祭司として、イエス様を信じた異邦人たちが「神に喜ばれるささげ物」になるように聖霊の働きを求めていました。
ささげ物について、すでに12章1―2節でパウロは勧めていました。
「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
礼拝の中で自分の心と体を神にささげ、神が喜ばれることを求めて、心を新たにして自分を変えていただく。これがパウロの言う聖なるささげ物です。
自分の力で人を変えるのではないとパウロは言うのです。聖霊を求めたとき、聖霊が直接働いてくださるのです。
( 小室 真 )
神への奉仕、福音伝道の働きについてパウロには誇りがあります。
パウロのことばから、パウロの誇りの3つの特徴を見ていきます。
一つは、福音の中心です。パウロはイエス様が語られたことばと、しるしによって福音を伝えていました。パウロは、自分の知恵と知識ではなく、聖霊から示されたままのキリストを伝えることが福音の中心になっているのです。
一つは、地域の広がりです。イエス様がよみがえられたエルサレムに始まり、イルリコというギリシャの西岸地帯まで、ローマ帝国の東半分という広い範囲に福音をのべ伝えていました。パウロは更に広い地域、キリストが伝えられていない所への福音を目指していました。使徒の働き1章8節でよみがえったイエス様が弟子たちに語られた通りとなったのです。
最後は、キリストを土台にした教会です。パウロは、何もないところにキリストの土台を建てようとしていました。ほかの人が建てた教会や、ユダヤ教の律法を土台にしたシナゴーグではなく、最初からキリストを土台にした教会を建てることを目指していました。
21節でパウロはイザヤ書52章15節を引用しています。ここには、この3つの特徴をもつ福音伝道が預言されていました。パウロが福音を始める700年前のことです。その内容は、十字架にかけられたイエス様がエルサレムで王として迎えられる。更にその姿を見たことのない異邦人の多くの国々、その王たちに知らされ、彼らはそれを見て驚くというというものです。パウロはこの特徴を持った福音伝道こそが自分の役割だと信じていたのでしょう。
パウロがローマ書で強調したこの3つの特徴は、新約聖書に形となって現れています。パウロが聖霊によってイエス様から与えられたことばは13通の手紙として、その福音の奇跡としるしは「使徒の働き」として新約聖書の約半分を占めています。
始めてキリストを知った者にとって、これらの手紙は、旧約聖書や、福音書に示されたイエス様の姿とことばを理解するための土台となっています。
そしてこの新約聖書は2500以上の言語に訳されて異邦人の世界に時間と空間を超えて広がっています。現在、世界で最も多く売れている本は圧倒的に聖書です。
紀元前700年頃イザヤ書に語られたみことばが、1世紀のパウロの時代に現実のこととなっていることをパウロが理解して感動しているように、1世紀のパウロが聖霊によって書いたことばが、今私たちの前に現実となって現れています。
聖書のことばは生きています。生きているということは、聖書のことばが一人一人の上に実現するということです。今キリスト・イエスを信じるあなたの上に、平安と希望、主の祝福が用意されているのです。
( 小室 真 )
キリストの福音をローマ帝国の東半分に伝え終えたとパウロは語っていました。今日は、その後の伝道の構想と計画を伝えているところです。ここにも福音のあり方、教会のあり方へのパウロの考えが示されています。
キリストの御名がまだ語られていない所つまり、ローマ帝国の西半分、更に西のはずれイスパニア、今のスペインまで福音を進めようというものです。しかしその前に、パウロにはなすべきことが2つありました。
一つは、25節にあるように聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ戻ることです。
もう一つは、28節にあるように「あなたがたのところを通って行く」ことです。
一つ目の「聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ戻ること」とは何を意味しているのでしょう。パウロはダマスコに向かう道でイエス様に会いました。強い光で目が見えなくなりましたが、アナニアの祈りで目が開かれました。その後、故郷に戻ってタルソやアンティオキアで教えていました。17年後、使徒たちに会うためにエルサレムに上って行きました。異邦人への福音のあり方について話し合うためでした。そこで、ペテロが割礼を受けている者への福音を委ねられているように、パウロが割礼を受けていない者への福音を委ねられていることをエルサレム教会は理解しました。ただこの時、貧しい人たちのことを心に留めるようにとパウロに求めたのです。(ガラテヤ2章6-10節)
クラウディウス帝の時代になると世界中に大飢饉が起こってエルサレムの信徒たちは困窮していました。パウロが伝道したピリピ、コロサイ、コリント等の異邦人の教会の人々はエルサレムの教会に救援物資を送ることを自ら提案しました。パウロ自身が、救援物資をもってエルサレムに戻ることになったのです。
エルサレムの教会に救援物資を送るという、聖徒たちへの奉仕は、異邦人への使徒としての義務を果たす気持ちもパウロにはあったでしょう。でも、28節に「彼らにこの実を確かに渡してから」のように、エルサレムに渡す救援物資をパウロは「実」と表現しています。単なる救援物質ではなく、気鋭ストへの信仰の現れ、物質的な奉仕というより、神に仕える業としての喜びと捉えているのです。
2つ目の、「あなたがたのところを通って行く」ことについて。ローマ教会はパウロから福音を教えられた人々が土台となって教会を形成していました。福音宣教という意味では、ローマ教会はもうパウロが働くべきところではありません。ローマに寄ることなく、キリストを知らない地に直接向かってもよかったのですが、パウロは「ローマ教会を通って行きます。」と言うのです。それには、理由がありました。
それは、29節にあるように、ローマ教会に「キリストの満ちあふれる祝福」を届けることでした。パウロは確信していました。異邦人の教会からユダヤ人の教会に物質的援助が届けられ、お互いの教会の間に喜びがあふれること、キリストの一致による喜びをパウロは期待していました。その祝福をパウロは各教会に伝えられることを確信していたのだと思うのです。
( 小室 真 )
パウロの伝道の構想と計画の続きです。スペインに行くのにローマを経由して行く理由が二つありました。一つは、ローマ教会に「キリストの満ちあふれる祝福」を届けることでした。
理由のもう一つは24節「しばらくの間あなたがたとともにいて、まず心を満たされてから、あなたがたに送られてイスパニアに行きたい」というものです。
パウロの書いた手紙や使徒の働きを読むと、パウロという人は、どんな困難にも一人で立ちむかっていく力強い人という印象を持ちますが、ここを読むと決してそうではありません。
パウロは、働きの上で考えられる心配事について、教会の兄弟姉妹の祈りを心から求め、その祈りに支えられていました。30節「私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。」パウロはローマの信徒に力を尽くして祈ってほしいと強く訴えています。その祈りのリクエストは具体的でした。
一つ目はユダヤにいる不信仰な人々から守られること。当時、キリストを信じる人々はユダヤ人から迫害されていました。迫害の先頭に立ちながら、突然キリストが救い主だと言い広め出したパウロは、ユダヤ人にとって裏切り者です。いろいろな所でユダヤ人たちに命を狙われていました。実際にエルサレムに向かう途中、ユダヤ人の陰謀が発覚してパウロは旅程を変更して難を逃れることが出来ました。
2つ目の支援物資が聖徒たちに受け入れられること。エルサレムのユダヤ人キリスト者が快く支援物資を受け入れるかどうか、パウロは不安を抱いていました。キリスト者とはいえ、ユダヤ人は選民の誇りが高く、律法を守ることにも熱心でしたからから、異邦人をさげすんで、支援を快く受けいれない恐れがあったのです。支援物資は無事、快く受け入れられました。
三つ目の、ローマ教会の人々に無事に会うこと。
エルサレムに向かう危険な旅を前に、ローマの教会の人々に共に祈ってくれるように求めました。ローマの教会は、地理的には離れていますが共に祈ってくれる強力な仲間とパウロは認めていました。ですから新たにスペインに旅立つ時も、ローマの教会で直接交わり祈ってもらって送り出してもらいたいと考えていました。
パウロはエルサレムで捕らえられますが、その後ローマまで護送されました。パウロはローマで2年間家を借りて過ごし、教会の人々と交わり、訪ねてくる人々に証して過ごしました。
パウロは、祈りには力があることを良く知っていて、実際に必要としていました。それは、離れた所にいても、会ったことのない人だとしても、共に心を一つにして、力を尽くして祈るとき、みこころに沿った形で神は実現してくださるからでした。
( 小室 真 )