パウロの長い挨拶ですが、大切な要素がぎっしりと詰め込まれています。
1節でパウロは自分のことを福音のためのイエスのしもべ、つまり自分の意志ではなく主人の思いだけに従って福音のために働く者だと紹介しています。2-4節でその福音とは旧約聖書に約束されていたイエス・キリストに関する事だと示しました。次に6-7節でこの手紙を宛てた人々について書いています。
「その異邦人の中にあって、あなたがたも召されてイエス・キリストのものとなりましたー ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たちへ」
新改訳では「イエス・キリストによって召された人々」と訳されていますが、新改訳2017では「イエス・キリストが召す」のではなくて「召されてキリストのものとなった」と訳されています。パウロをもローマ教会の人々をもキリストに属するようにと招いている主体は等しく神であるとパウロが主張しています。ローマの信仰者を導いたのは神であって、それは冒頭でパウロ自身が神によって召されたのと同じように、ローマ教会の人々も神によってイエスの為に召されたのです。
パウロが手紙を宛てたローマ教会は、パウロが立てた教会ではありません。あるローマ人がエルサレムに滞在中にペンテコステの奇跡を目撃しペテロのメッセージを聞いてバプテスマを受け、ローマに帰ってから自然発生的に教会を形成していったのでしょう。パウロは、ローマ教会のエパネトをアジアでキリストを信じた最初の人だと言っています(ローマ16:5)(使徒2:10)。ローマは異邦人の世界そのものですが、地理的にも当時の世界の中心でした。実際にローマからローマ帝国各都市に人々が行き来し、パウロがこの手紙を執筆していたコリント教会とローマの教会の間には多くの人の行き来がありました。ローマ16:3-15では、ローマ教会の30人近い人々の名前が挙げられパウロが彼らを良く知っている様子が分かります。その関係はとても愛にあふれています。パウロはその人々が神に召されてキリストを信じるにようになったことに目を留めて喜んでいるのです。
7節では格調高く、少し他人行儀な表現になっていますが、16章にあるような名前で呼び合う親しく愛し合う関係がその内側に包まれています。パウロはその人々の顔を思い浮かべながら神のことばを、愛を込めて語ろうとしているのです。異邦人の世界にいて、神に愛され、召された聖徒たちへ、「私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」あなたもその一人です。
(小室 真)
パウロの長い挨拶に続いて、神への感謝がささげられ、手紙の目的を伝えます。
ほとんどの手紙の初めにパウロは神に感謝を捧げています。ここでもパウロはそうしているのです。パウロが神に感謝しているのは、エルサレムから使徒たちがその地に行って教会を開いたわけでもないのに、自然発生的にローマ帝国の中心、世界の中心であるローマにキリストの教会が生まれ、帝国内で噂になっていたのです。
パウロは自分自身を異邦人に向けて福音を伝える使徒と認識して、自ら各地に教会を起こして来ましたがローマの教会はパウロの働きによらずに出来た教会でした。聖霊の働きが実際に教会を生んでいたことをパウロは知って、パウロの活動も同じ聖霊の働きの大きな輪の中に置かれていることをパウロは感謝しています。そしてパウロの感謝は常にキリストを通して神に捧げられるのでした。私たちの神への感謝の気持ちも、同じようにイエス・キリストを通して神に捧げているのです。
次にパウロは手紙を書いている目的を伝えています。パウロは、まだ会っていないローマの人々、既に他の教会で会った顔なじみの人々と直接会いたいのです。会うことによって御霊の賜物を分けあうことが出来るのだとパウロは言うのです。パウロはローマの人々に会って神の愛とその喜びを伝えたいのです。その喜びは生きる力を与えてくれるのです。それが御霊の賜物です。
神の愛を伝えて喜ぶのは聞いた人だけではなくて、そのことばを聞く人々の姿を直接見て語る者に励ましになります。このように直接会うことの大切さをパウロは良く知っています。今、コロナ禍の中で教会員同士直接会えませんが、もみの木教会の礼拝は同じ時間、同じみことば、同じ賛美でのたくさんの家庭集会の束で形造られています。神が見えないだけでなく、今は兄弟姉妹の姿も見えませんが、互いに一つの礼拝を作っていることを感じて、互いに励まし合いましょう。
(小室 真)
パウロの長い挨拶に続いて、神への感謝がささげられ、手紙の目的を伝えます。パウロは、まだ会っていないローマの人々、既に他の教会で会った顔なじみの人々と直接会って御霊の賜物を分け神の愛とその喜びを伝え自分も喜びに溢れたいのです。
ここで分け合おうとしている賜物を示します。福音、神の義、信仰とローマ人への手紙のキーワードが並んでいます。福音とは何でしょう。神の義とは何でしょう。信仰とは何でしょう。これから16章をかけてパウロは語ろうとしています。
福音については1章と15章、義については3~6章、信仰については3~4章、罪については5~7章を中心に書かれています。少し先読みしてみましょう。
福音について16:25を見てみます。私の福音は、イエス・キリストを伝える宣教であって、世々にわたって隠されていた奥義を啓示するものであるとパウロは言います。つまり福音はイエス様がどういうお方であったかを伝えることでイエス様の中に神様が隠しておられた大切な意味と目的を伝えるものだと言うのです。ワクワクしてきます。
義についても先読みしてみます。5:18「こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。」つまり義とは、神様からいのちが誰にでも与えられることです。
信仰はどうでしょうか。4:5「不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。」つまり神様に逆らっていた者をも愛して下さる神とその約束を信じる事です。
これらのことばから17節の『福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」』を読み直すとこうなります。
「イエス様を伝える言葉の中に神がいのちを与えようとする秘密が明らかにされていて、それは神様の愛を信じることから始まって、更に信じていこうと言う人生になる。神様からいのちを与えられている人は、日々の生活の中で神様の愛を認めていくのです。」これからその意味をパウロは深く掘り起こしていきます。
(小室 真)
パウロがローマの人々に伝えようとしている福音には神の義が啓示されています。
神の義は、神様からどのような人にでも与えられるいのちです。人の不義とは、その神様の義を認めず、いのちを拒否することです。18節の「不義によって真理を阻んでいる人々」とはいのちを与えている本当の神を認めようとしない人々です。この人々に神は怒られます。
神の怒りとはどのようなものなのでしょうか。あなたが何か悪いことをしたときにお父さんやお母さんが感情を露わにして厳しい言葉で攻め、時にはお尻を叩き、更にはご飯をお預けにされた経験をお持ちでしょうか。神の怒りはそのようなものでしょうか。18節に「神の怒りが天から啓示」され、24節にで「神は彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され」た、と書かれています。どうも神の怒りは人の怒りとは全く異なるもののように見えます。
神の怒りは、太陽や月や星々、雨や風や雲、山や川や海、草木や動物たちといったご自分が創造されたものを通して造り主であるご自分の存在をはっきりと示しながら、その神を認めない人の心が鈍くなって愚かな状態のままにされています。それは、神の御子イエスを十字架に架けた人々の前で天地を暗くし、地震を起こし、神殿の天幕を真っ二つに割いてイエスが神の子であることを大音響で伝えながら、イエスを罵る人々をそのままにされていた、あの時の神の怒りにも通じているように思います。
神を認める事を避けた人々は、本当の神ではなく偶像を拝むことになります。その人たちは本来、神を礼拝するようにと造られた自分のからだを、木や石やカエルを崇めるという愚かな行為によって辱めているのです。
パウロは改めて強調します。「造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」
(小室 真)
パウロがローマの人々に伝えようとしている福音には神の義が啓示されています。
神を認めない人は、偶像を拝むことになります。木や石やカエルを崇めるという愚かな行為によって、神を礼拝するようにと造られた自分のからだを辱めるのです。心の欲望のままに生き、汚れに引き渡されていく姿が26-32節に示されています。
神の下で祝福され抑制された欲求は、家庭を育み、物事を達成するために必要なものです。しかし神の制限を失った欲望は、異常な情欲と貪欲へと人を駆り立てていきます。26-27節の不自然な男女関係は、字義的にLGBTのことを否定しているのではなく、人を愛することから遊離して性欲だけを満足させる肥大した性的関係と解釈されます。
更に29-32節に貪欲の姿が示されています。「あらゆる不義、悪、貪欲、悪意、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧み、陰口、人への中傷、神への憎しみ、侮り、高ぶり、大言壮語、悪事の企て、親への反抗、浅はかさ、不誠実、情け知らず、無慈悲」です。
神は人を祝福し、幸せで豊かな人生を用意して下さっているのに、神を認めようとしないことによって人は不幸な人生へと転がっていきます。それは、人に嫌われ、異臭を放つ人生です。それは神に価値を認められない死んでいる人生です。
この人生を避け、生き返る方法は一つ、本当の神を正しく認める事から始まります。
(小室 真)